ばらの街中央区

 中央区は旧与野市の市域にさいたま新都心西側地区の一部を加えた区域です。 与野の歴史は古く、原始時代の貝塚や遺跡も多くあります。中世は鎌倉街道の要路にあたり、市場が開かれました。江戸時代は、天領、旗本領、寺社領からなり、羽根倉河岸(旧浦和市)などによる荒川の舟運もあって、市場町として、また甲州街道と奥州街道を結ぶ脇往還の宿駅として栄えました。正月は中央区の神社・寺院旧跡を巡る与野七福神などなり、毎年1月3日にはパレードも実施される。
 明治22年(1889年)、与野、小村田、上落合、下落合、中里、大戸、鈴谷、上峰、八王子、円阿弥の10町村を合併して与野町となりました。大正元年(1912年)には与野駅が開設され、昭和9年に国道17号が開通し、この頃より徐々に住宅都市化していきました。昭和29年には町村合併法で浦和市、大宮市などとの合併が検討されましたが合併には至らず、人口は80000人ほどで3300世帯規模であった。昭和33年に単独で市制を施行しました。同44年には新大宮バイパスが縦断し、加えて同60年にはJR埼京線が開通し、北与野(乗降客数:20000人)、与野本町(乗降客数:30000人)、南与野(乗降客数:36000人)の3駅が開設されました。現在北与野駅は乗降客数の伸び率も高く105%以上で上昇している。埼京線は大宮駅20番線で新幹線とも密接な関係である。

「吉野にはしの字の一字たらねども まけずおとらず与野の公園」と詠まれ、江戸期から広く知られていた与野公園の桜。明治10年には県下3番目の公園として定められ、古くから桜の名勝として市民に親しまれています。が 昭和52年、市民のための「心の投資」として公園内に開設されたバラ園には、現在170種類3,000株のバラが植栽されています。毎年5月に開催される「ばらまつり」には、市内外からの多くの来場者でにぎわいます。また、平成9年には「ばらサミット」が開催され、それぞれのサミット加盟都市を代表するバラが記念植樹され、区花をバラにするなどして中央区は「バラ」推し、浦和区は「うなぎ」・「サッカー」推しとされています。
 平成12年に「さいたま新都心」の街びらきが行われ、平成13年5月1日には浦和市、大宮市、与野市が合併し「さいたま市」が誕生、さらに平成15年4月1日の政令指定都市移行に伴い、9行政区のひとつとして中央区が設置されました。
 いまや「さいたま新都心」(駅乗降客数:108,000人)や、その西側の最寄り駅である北与野駅周辺には、再開発ビル群が立ち並んでいます。また与野本町駅西側にある「彩の国さいたま芸術劇場」では国際的に評価の高いコンサートや舞台が催され、蔵造り住宅など江戸の面影を残す与野本町の景観とともに「芸術、文化創造発信の地」となっています東口は以前にも記載しと通り、大宮区であるがさいたま市の象徴ともいえるアリーナなどは中央区である。現在の中央区の人口は100,000人を超え47,000世帯を抱える都市となった。