川越の起点

川越市はさいたま市・川口市に次ぐ35万人の都市です。歴史的には江戸時代に川越藩の城下町として栄え、神社寺院旧跡など歴史的建物が多く残る街です。しれゆえに歴史都市として歴史まちづくり法により守られ、関東では鎌倉市・日光市に次ぐ、文化財の多さです。戦災に逃れた街並みが残り、市内観光名所には年間約704万人以上の人が訪れる観光都市です。有名な神社寺院は通称喜多院と呼ばれ、正式名称は星野山無量寿寺喜多院というらしい、江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として、また江戸城から移築された三代将軍徳川家光・春日局ゆかりの建物をはじめとする、多くの文化財を所蔵している喜多院の名は川越をというより、埼玉県を代表する寺院として全国的にも有名である。豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築された。江戸城ゆかりの建造物に加え、山門・鐘楼門・慈眼堂などが重要文化財に指定されている。

また北側には、成田山新勝寺の別院で真言密教の寺院です。地元では「お不動様」として親しまれています。目の病を不動明王に祈願して全治した千葉の石川照温が嘉永3年(1850年)に創建したものです。毎月28日には骨董品が境内に所狭しと並ぶ「蚤の市」が開かれています。ちょっとのぞいてみませんか、思わぬ掘り出し物が手に入るかもしれません。

河越藩では特産物の開発が盛んで河越茶(現狭山茶)・さつまいもの栽培がすすめられ、新河岸川・入間川を利用した舟運輸で江戸まで運んでいた。埼玉県NO1の城下町で関東でも水戸藩に次ぐ大きな石高があった。現:埼玉りそな銀行の前身である国立銀行の第八十五銀行の発祥の地でもあり、民間の銀行の発祥の地でもある。明治大正は川越が埼玉県を引っ張っていった有力な地である。戦後は鉄道ともに発展をつづけた川越市内には10駅、ほぼ半分が川越市側の鶴ヶ島駅を入れると11駅あり、うち中心市街地には駅が3つある。中でもJR東武川駅は1日約20万人が乗降する、埼玉県内では大宮駅に次ぐ2位のターミナル駅である。また、近接する西武新宿線本川越駅と東武東上線・川越市駅を含めると、3駅で約30万人の乗降客数がある。

一方で、現在中心駅である川越駅は1915年と、中心市街地の駅の中では最遅の開業で、川越線の開業に伴う駅名改称と、市街地の南下により市を代表する駅(現市街地の玄関)となった。 1971年は県内初の高速道路を開通させ、現在は国道16号・首都圏中央連絡道とも連携する主要交通網となってる。