桶川市

古くは江戸時代の五街道の一つ中仙道の宿場町桶川宿として発展し、江戸時代に周辺部で栽培されていた紅花は「桶川臙脂」としてその名を知られ、全国で2番目の収穫高を誇っていた。現在でも中山道には蔵作りの建物など宿場町の面影を残している。農業用地を残す一方で、近年は住宅地化も進行している。市の中心を南北に国道17号、高崎線が通り、東西に川越栗橋線が通る。

明治になると時代の変化とともに中山道は衰退し、宿場としての役目も終え始める。紅花も輸入品や化学染料に取って代わられて衰退したが、宿場址が町の発展の中心となった。1883年にに高崎線が敷設され、1885年には桶川駅が設置された。

1889年に町村制が施行され、桶川宿と隣接する3村により桶川町が成立する。同時に現在の市域に加納村、川田谷村、大石村が成立する。

合併時には埼玉県により近隣の10町村(桶川町・加納村・川田谷村・大石村・上平村・上尾町・平方町・原市町・大谷村・伊奈村)による合併案が示されたが実現せず、1955年1月1日に加納村、3月10日に川田谷村とそれぞれ合併し、新たに桶川町が成立する。同年4月1日、旧大石村の大字井戸木字後の地域が同年1月1日の合併により成立した上尾町から分離し、桶川町に編入された。翌日その一部を再び桶川町から分離、上尾町に編入し現在に至る。桶川の地名は、足利尊氏の家臣への下文に「桶皮郷菅谷村」と記されたのが文献上最古のものである。なお、この菅谷村は現在の上尾市菅谷を指すと見られる。桶川の地名は古来からのものである為、はっきりとした由来は不明であるが、以下の2つの仮説が云われている。 「沖側」に由来 – 「オキ」は広々とした田畑の意で、その方向である「沖側」が訛ったというものである。ともひとつは「起き川」に由来 – 芝川・鴨川等の水源が有ることから川が起こる所すなわち「起き川」になったというものである。出身有名人は本木雅弘さんのなどがおられます。